ポップの介護日記

愛犬ポップの介護生活をマイペースに記録していきます。

お別れの日のこと

最後の1日は、ずっと目を開けて荒めの寝息を立てているだけで、反応がありませんでした。

水をシリンジで入れるとたまにほぼ反射で舐めるけれど、口はテコでも開けないし、手を近づけても瞬きしませんでした。心臓は元気に動いていたし、(最後数時間はタール便だったけれど)おしっこや便もちゃんと出ていたので疑問でしたが、あとで母に「最後半日はほとんど脳死状態だったのかもね」と言われて腑に落ちました。ポップは脳腫瘍だと言われていたので。だとすると精神学上の命日は、23日かもしれません。


23日18時ごろからポップの腕が痙攣を始めて、これまでポップの痙攣は何度かあったけれど、これは違う、というのが分かりました。でも、もう少し寝たきりの暮らしが続くかと思っていました。というか、頭のどこかではもう長くないと分かっていたのに、目をそらし続けていたのです。口では偉そうなこと散々言ったくせに、覚悟ができていませんでした。半泣きでポップの腕を握りしめると、痙攣は不思議と止まりました。医学上の根拠があるのだと思うのですが。

日付を跨ぐ頃からポップが白眼をむき始めました。ポップはよく白眼で寝ていたので、これもただ眠いだけだと思い込もうとしました。ポップの寝床の隣に布団を敷いて、また痙攣する腕を握りしめていましたが、1時頃ずっとぐったりしていたポップの身体がビクッと動きました。手足をぐっと伸ばし、「ウウ〜…」と唸り声をあげました。

ここ数ヶ月ポップの鳴き声と言えば飼い主に助けを求める切ない鳴き声だけでしたし、21日辺りから鳴くことすらありませんでした。死ぬ直前に犬が鳴く、という話はネットでちらっと見たことがありましたが、まさかポップもそうなるとは思いませんでした。否が応でも、「その時」が来てしまった!と悟りました。

急いで抱き上げて、「お母さん!!」2階に寝ている母を呼びました。なかなか起きてきませんでしたが、腕の中でポップが死にかけているというのに、涙と鼻水でグシャグシャの顔で、母を呼び続けました。いい歳の女が情けないです。でも、今夜が山だと分かっていた母もポップに何かあったら起こしてくれと言っていましたし、誰かがそばにいてくれなくては心臓が潰れそうでした。

母がやっと起きて降りてきた頃には、ポップは息をしていませんでした。でも母が心臓付近を触ったときはまだ僅かに動いていたと言っていました。それでもすぐに、抱いている感触でもうポップはこの世の生き物ではないのだと分かりました。わっと涙が溢れました。声をあげて泣いたのは10年ぶりくらいでした。


やるだけのことはやったからいざ「その時」を迎えても平気だろうと思っていましたが、全然そんなことありませんでした。押し寄せてくるのは後悔ばかりです。

タール便が出ていたということは内臓のどこかが出血していたということなので、私が無理やり餌を与えたせいでポップは最期痛い思いをしたのかもしれない。

それか抜け落ちた歯を飲み込んでしまったのかも?ちゃんと毎日口の中を見ておいてあげれば良かった。

心臓が止まってもすぐ心臓マッサージをすれば蘇生できたかもしれない。

前々日私が熟睡してしまって夜なかなか構ってあげられなかったから、起きたときポップは辛そうだった。あのとき脳が死んでしまったのかもしれない。起きて看病していればもっと生きられたかも。

キリがないです。


明日は火葬、お見送りの日です。
ポップが安心して向こうに行けるように、しっかり見届けてこなくてはなりませんが、正直今の私にそれが出来るかどうか不安で仕方ないです。