ポップの介護日記

愛犬ポップの介護生活をマイペースに記録していきます。

101日目

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ポップが初めて発作を起こして介護生活が始まってから、いつの間にか100日を超えていました。

最初は一か月もたないと思っていたので、ここまで生きてくれたことにただただ感謝です。

 

どうして犬の介護にここまで必死になるのか、犬の介護がどれだけ大変か、動物と暮らしたことのない人には絶対に理解出来ません。これは皮肉ではなく、当然のことだと思っています。「家族」ではなくあくまで「ペット」だと割り切っている方々には呆れられても仕方ないと思いますし、私はそのような考えを冷たいとは思いません。

アメリカではペットが病気にかかり回復の余地がないと判断されたら、安楽死をさせる人が多いと聞きました。これはペットに限らず、生物に対する生死観の違いです。日本人の中でペットに対して考えの違いがあるのも必然です。

最近、家族のポップを囲む雰囲気が諦めに近いものになってきました。母は疲れていますし、父はもともとポップの老いに対して態度が淡白です。姉は介護疲れで毎日青い顔をしている私を見かねてだと思いますが、もうこれ以上は無駄だ、といったことを遠回しに言ってくることがあります。

それでも私は、ポップが生きようとしているなら助けずにはいられないのです。誰に省みられなくても、理解されなくても、頑張りたいと思うのです。それでいいと思っていました。

 

けれど今日、会社で飼っていた犬や猫の最期を見届けた経験のある先輩たちとお話する機会があって、「大変だよね」「大丈夫?」「辛いよね。でも頑張りたいんだよね」といったようなことを言ってもらえて、涙が溢れました。一人で大丈夫だと思っていても、私はやはり同じ経験のある方々のこういう言葉を求めていたんだと気付きました。

「正直、ペットロスと言うのは本当にあるよ。喪失感がものすごい。私は今でも当時の散歩コースを歩けない。でも、ペットがいなくなったときは、『ごめんね』ではなく『ありがとう』って、前に、前に考えてみて」と言われて、何だか心が軽くなりました。

 

ポップとの別れは恐いです。でも先輩に言ってもらったとおり、最期のお別れの瞬間が来たら、私もポップに『ありがとう』と言う心構えで、残された日々を過ごしたいと思っています。