一周忌
今日はポップの命日、一周忌です。
お花を添えて、写真に手を合わせることくらいしか出来ませんが。
上の写真は、ポップが亡くなって半年くらい経ったとき掃除していて出てきたものです。ポップは生まれて2ヶ月で我が家に来ましたが、来たばかりの頃はもっともっと小さかったはずなので、恐らく4ヶ月~半年くらいの頃。
それでも、ポップの小さいころの写真があまり残っていないうちでは貴重な写真で、涙が出るほど嬉しかったです。まだちょっと緊張しているし、毛が真っ白ですね。ポップは年を経るごとに毛が茶色くなっていきました。
あれからもう1年も経った信じられません。まだ寂しいし、ぬくもりが恋しいし、たまに名前を呼んでしまいます。
それでもポップに対して「ごめんね」ではなく「ありがとう」と思えるようになったのは、時間と、周りのひとたちの支えのお陰だと思っています。
命の尊さを、胸の底から湧き上がるような愛情を、教えてくれたのはポップです。どんなに悲しくても、ポップと一緒に過ごしたことを後悔したことはありません。本当に、感謝しかありません。
一年前の今日は、雲一つない快晴でした。暑くもなく寒くもない、春らしい気持ちのいい日で。そして今日も、雨の予報でしたが、いまは綺麗に晴れています。風も穏やかで過しやすい日です。
このあと、一年前に歩いた場所をゆっくり散歩してこようと思っています。
定期更新をやめる前に
私が介護中参考にさせてもらったブログを紹介したいと思います。
今後動物の介護をされる方に、少しでも力になれるように。
記事に直接リンクを貼らせていただくので、問題があったらすぐ消します。
︎■たぶぶんさんのブログ「でか犬さくらの老犬生活」より
http://s.ameblo.jp/tabubun/entry-11288994578.html
亡くなってから火葬するまでの作業行程を、丁寧に書いてくださっています。
大変お世話になりました。この場を借りてお礼申し上げます。
生存中は縁起でもないとこういう記事は避けてしまうかと思いますが、亡くなってから色々準備するのでは遅いです。私は半年の介護生活がありましたが、厳しい話「おかしいな?」と感じてから2〜3日で逝ってしまう子も珍しくないようです。特に田舎に暮らしている方は、保冷剤やドライアイスをすぐにたくさん用意するのは難しいでしょう。
かえって可哀想なことにならないよう、パートナーが元気なうちにちゃんと目を通しておくことをオススメします。
介護関係のインデックス>>http://ameblo.jp/tabubun/day-20150506.html
■︎nyphさんのブログ「フツーの毎日」より
http://jnyphoto.exblog.jp/20218631
この方は、普段はタイトル通り普通のブログを書かれているのですが、その中で何日か介護の記事を書かれていた為に検索で辿り着きました。介護記事のインデックスがあったので、その記事にリンクを繋げさせていただきました。
特に、介護の方法を書かれているというわけではないのですが、介護中の心境を細かく記述されているので、何度も共感し、励まされました。「死は怖くない」という言葉にどれほど勇気づけられたことか。
オススメです。
以下、近況です。
ポップが亡くなってから、派手に体調を崩しました。今も、ちょっと無理すると高熱が出るような状態で、完全に自律神経がやられてしまったようです。ペットロスもあるかと思いますが、「疲れが出たんだ」と周りに言われました。その通りだと思います。
思えば、体調管理が下手でしょっちゅう身体を壊していた私が、介護を始めてからは風邪ひとつ引きませんでした。風邪などひいている場合ではないと、無意識に気を張っていたんだと思います。
私がもっとしっかりしていればポップはまだ生きられたんだと何度も考えました。後悔は一生消えそうにありません。けれど4月に入ってからポップはずっと生死をさまよう状態が続いていて、看ている私は体力的にも精神的にもギリギリの状態でした。神経をすり減らす、とはあのことです。命削っていました。多分あれがもう半年くらい続いていたら、私は体調を戻すのに年単位の時間がかかっていたと思います。
そんな私を見かねてポップは、春という優しい季節に、皆が待ち望んだ15歳の誕生日を迎えてから、静かに逝くことにしたのかもしれないと、考えることが出来るようにはなりました。
介護中1時間ごとに起きていたので、まだ今もその癖が抜けません。
支えてくれる家族や友人がいるので、ゆっくり体調を戻していきたいと思っています。
いつも星を付けて下さる読者の方々、ありがとうございます。
いつか挨拶に伺いたいと思っています。
フェルトアートでポップを作っています。
虹の橋
今後このブログをどうしようかと悩んでいます。
過去の記事を読むと息苦しくなったりするのでまだ読み返すことは出来ませんが、消すつもりはありません。上手い文章ではないけれど、大事な記録なので。
もう定期的に書くことはありませんが、ポップのことを話したくなったとき、思わぬ写真が出てきたときにちらっと戻ってくるかもしれません。
ポップがいなくなったら、ペットロスですぐに別の犬が飼いたくなるだろうと思いましたが、そんなことはありませんでした。無性に温もりが恋しいとき、抱きしめる存在がないのはとても辛いです。今でも無意識に、温もりを求めてポップがいつも寝ていた仏間に向かい、「あ、そう言えばいないんだった…」と勝手に落ち込むことがよくあります。それでも自ら進んでまた求めようとは思いません。まだポップがいなくなってから時間が経っていないというのもあると思いますが。
しかし、もう二度と飼いたくないというわけではありません。例えば「子犬がたくさん産まれたので引き取って欲しい」と言われたり、ポップと全く同じ組み合わせのミックス犬が引き取り先を募集していたら、手を伸ばすと思います。
生き物と一緒に暮らすということは、身を引き裂くような別れを覚悟するということです。だけど、一度あの温もりを知ってしまったら、心の底から湧きあがるような優しい気持ちを知ってしまったら、例え別れの辛さを知っていても、二度と味わいたくないとは言えないのです。
「虹の橋」という作者不詳の詩があります。
別れを悲しむ自分を、または誰かを慰めるために、誰かが作った詩なんだろうと思います。
でも、胎内記憶で虹の橋から降りてきたという赤ちゃんがいるなら、天国の手前にあるという「虹の橋」は本当にあるのだと、信じてもいいんじゃないかと思うのです。
私は出来た飼い主ではありませんでしたが、ポップは虹の橋で待っていてくれるでしょうか。何十年か後、私がそこへ向かったら、走って迎えに来てくれるのでしょうか。その名前の由来になったとおり、ぴょんぴょんと跳ねて喜んでくれるのでしょうか。
もしそんな日が本当にくるのなら、これからも強く生きることが出来そうです。
お見送りの日のこと
お見送りは、穏やかな気持ちで終えることが出来ました。
ペットロスの対策の中に、「手紙を書く」というものがあったのです。半信半疑でしたが、骨壺を買いにいったとき偶然上のようなレターセットを見つけて、書く決心をしました。ポップのお母さんであるキャバリアもいるし、犬種は分かりませんがポップにとてもよく似た犬がいたので。(上段右から3番目)
後悔と、ありがとうと、思いの丈を吐き出すと長い長い手紙になりました。自己満足ですが、手紙を書いたことでだいぶ心が救われた気がしました。返事は期待できない一方的な手紙だけれど、返事を気にしなくていいというのが逆に良かったのかもしれません。この手紙と、ポップが生前食べれなかったケーキも一緒に燃やしてもらいました。
心の穴は、埋まりません。帰宅したらポップの寝息が聞こえないことが辛くて、帰宅するのすら怖いです。
でも私が逆の立場だったら、やはり「可哀相」と思われるより「幸せだった」と思われる方が嬉しいのです。
もし本当に「虹の橋」があるなら、「雨降り地区」もあるはずです。ポップが早くここを抜け出せるように、いい加減泣き止まないといけません。
先日兄がポップの写真を大量に送ってくれました。私は一度スマホを壊してしまい、ポップとの大切な思い出が一気に消えてしまっていたので、兄の方がポップの写真を持っていたのです。こんなに兄に感謝したことはありません…とても嬉しかったです。
たぶん、体重がMAXの8.9kgだった頃。ハムみたいに太っています…
お迎えが来る直前は、半分くらいになってしまっていました。
これはたぶんかなり若い頃です。自分で椅子にのぼって立ち上れるほどに、元気だった頃もあったんですね。ポップは1年以上ろくに歩けない日々が続いていたので、もうほとんど思い出せません。
お別れの日のこと
最後の1日は、ずっと目を開けて荒めの寝息を立てているだけで、反応がありませんでした。
水をシリンジで入れるとたまにほぼ反射で舐めるけれど、口はテコでも開けないし、手を近づけても瞬きしませんでした。心臓は元気に動いていたし、(最後数時間はタール便だったけれど)おしっこや便もちゃんと出ていたので疑問でしたが、あとで母に「最後半日はほとんど脳死状態だったのかもね」と言われて腑に落ちました。ポップは脳腫瘍だと言われていたので。だとすると精神学上の命日は、23日かもしれません。
23日18時ごろからポップの腕が痙攣を始めて、これまでポップの痙攣は何度かあったけれど、これは違う、というのが分かりました。でも、もう少し寝たきりの暮らしが続くかと思っていました。というか、頭のどこかではもう長くないと分かっていたのに、目をそらし続けていたのです。口では偉そうなこと散々言ったくせに、覚悟ができていませんでした。半泣きでポップの腕を握りしめると、痙攣は不思議と止まりました。医学上の根拠があるのだと思うのですが。
日付を跨ぐ頃からポップが白眼をむき始めました。ポップはよく白眼で寝ていたので、これもただ眠いだけだと思い込もうとしました。ポップの寝床の隣に布団を敷いて、また痙攣する腕を握りしめていましたが、1時頃ずっとぐったりしていたポップの身体がビクッと動きました。手足をぐっと伸ばし、「ウウ〜…」と唸り声をあげました。
ここ数ヶ月ポップの鳴き声と言えば飼い主に助けを求める切ない鳴き声だけでしたし、21日辺りから鳴くことすらありませんでした。死ぬ直前に犬が鳴く、という話はネットでちらっと見たことがありましたが、まさかポップもそうなるとは思いませんでした。否が応でも、「その時」が来てしまった!と悟りました。
急いで抱き上げて、「お母さん!!」2階に寝ている母を呼びました。なかなか起きてきませんでしたが、腕の中でポップが死にかけているというのに、涙と鼻水でグシャグシャの顔で、母を呼び続けました。いい歳の女が情けないです。でも、今夜が山だと分かっていた母もポップに何かあったら起こしてくれと言っていましたし、誰かがそばにいてくれなくては心臓が潰れそうでした。
母がやっと起きて降りてきた頃には、ポップは息をしていませんでした。でも母が心臓付近を触ったときはまだ僅かに動いていたと言っていました。それでもすぐに、抱いている感触でもうポップはこの世の生き物ではないのだと分かりました。わっと涙が溢れました。声をあげて泣いたのは10年ぶりくらいでした。
やるだけのことはやったからいざ「その時」を迎えても平気だろうと思っていましたが、全然そんなことありませんでした。押し寄せてくるのは後悔ばかりです。
タール便が出ていたということは内臓のどこかが出血していたということなので、私が無理やり餌を与えたせいでポップは最期痛い思いをしたのかもしれない。
それか抜け落ちた歯を飲み込んでしまったのかも?ちゃんと毎日口の中を見ておいてあげれば良かった。
心臓が止まってもすぐ心臓マッサージをすれば蘇生できたかもしれない。
前々日私が熟睡してしまって夜なかなか構ってあげられなかったから、起きたときポップは辛そうだった。あのとき脳が死んでしまったのかもしれない。起きて看病していればもっと生きられたかも。
キリがないです。
147日目
ポップがとうとう食べ物を受け付けなくなりました。口を開こうとしません。
このままただ衰弱していく姿を見ているのは辛くて、藁にも縋る思いでこちらを購入しました。
レビューではとても評判が良くていずれ買おうとは思っていたのですが、こんなに早く弱ってしまうとは思わなかったのです。昨日発送メールが届いたのですが、今朝は本当にあと数時間で死んでしまうんじゃないかというくらい具合が悪くて、もう間に合わないかと思ったら今日届きました。
一日ティースプーン一杯半だというので、本当に効き目があるのか?と思いましたが、このまま何もしないよりは…歯の間から注入しました。するとペロリと舐めたので、レビューのとおり甘くて美味しかったのかもしれません。
これのお陰かどうか分かりませんが、今少し持ち直した気がします。ご飯をちょっと食べてくれました。
もう時間の問題であることに変わりはありませんが、出来るだけ苦しまずに旅立って欲しいと思っています。